14-楠木正成


楠木正成

 

 

 

 

 

 

 

 

楠木正成は、鎌倉幕府を滅亡に導き、その後の後醍醐天皇の建武の新政に貢献した武将です。歴史上有名な武将ですが、特に、戦前は「忠君愛国」の象徴として人気が高かった。

出生は不詳だが、後醍醐天皇が鎌倉幕府追討の呼びかけに呼応し決起し、一度は幕府軍にやぶれるも、足利尊氏や新田義貞らと反幕府軍を組みついには鎌倉幕府を滅亡させました。正成は都へもどる天皇の行列を先導するという栄誉を得ました。

しかし、建武の新政は3年しかつづかず、足利尊氏が朝廷へ反旗を翻しました。この時、正成は鎌倉から京都へ攻めてきた足利軍を撃退し九州へと追いやりました。ただ、正成は尊氏の力を知っており、後に必ず再起し京へ上ってくることを予期し、尊氏との和議を天皇に進言するも受け入れられなかった。そして、案の定攻め上ってきた尊氏軍と「湊川の戦い」で激戦のすえ、戦死。息子・正行との別れ「桜井の別れ」、弟・正季と「七生報国」を誓い合っての自害などのエピソードは良く知られています。

正成が歴史の表舞台で活躍したのはわずかに5年であるが、これほどの足跡と忠臣として名を後世に残したのには感嘆するしか他にない。

 

楠木正成像は、2ケ所にあります。まずは、皇居外苑。明治維新の際に尊王攘夷論がさかんになり、朝廷の忠臣であった楠木正成の像が皇居に建てられたわけです。もう一つは、正成が戦死した湊川の公園にあります。新幹線で神戸へ行き、神戸市中央区・兵庫区の湊川で、湊川の戦いを探求します。神戸で一泊した後、翌日、大阪に回り大阪府三島郡本町桜井の桜井駅跡へ行き悲しき別れを忍ぶ1拍2日の旅を考えています。

 

 

前の記事

13-後白河天皇

次の記事

15-雪舟