3. 鎌倉と禅宗


 

話を鎌倉の「禅宗」に戻しますが、先に紹介しました、鎌倉のお寺7選のなかの、「建長寺」と「円覚寺」が禅寺です。しかも格式をあらわす制度「五山の制」で「鎌倉五山」の一位と二位です。

(五山ですので、五位まであるのですが、別途ご紹介します)

では、そもそも鎌倉時代にどうして、禅宗が広まったのでしょうか。

鎌倉時代の前の 平安時代までは、天皇、貴族中心の社会でした。 鎌倉時代から武家社会に変わったのです。  従来の仏教(天台宗と真言宗など)は天皇・貴族のものだったのに対して、源氏や平氏などの武士は新しい自分達のための仏教を求めましたその流れに刺激されて、武士や 庶民のために、仏教を興す僧が登場したと言われています。当時の庶民は、戦乱に巻き込まれたり、天変地異で、 飢餓や病気が増え、死ぬものが急増していました。絶望の中で、救いを求める 信仰として、庶民の間に新仏教が広まっていったと 言われています。

では、新仏教として禅宗が登場したのでしょうか。実は、鎌倉時代にいくつもの新仏教が生まれました。順にみていきます。

 

まず、「浄土宗」です。法然が開き(念仏を唱えれば、死後誰も平等に極楽浄土に行ける)という教えを広めました。(当然、この世に絶望しか感じていなかった庶民には、受け入れられます。ちなみに、浄土宗の中心寺院は京都の知恩院です、鎌倉ではありません。

 

 

 

次に、同じく、「浄土真宗」を親鸞が開き(自分が悪人であると自覚し、念仏を唱える人こそが、阿弥陀仏が救おうとしている)という教えを広めました。(当然、これも庶民には、受け入れられます。ちなみに、浄土真宗の中心寺院は京都の本願寺です、鎌倉ではありません。)

さらに、時宗の一遍や、法華経の日蓮が現れます。(時宗の中心寺院は相模国の清浄光寺、法華経は甲斐国の久遠寺でいずれも鎌倉ではありません。)

そして、いよいよ、禅宗です。禅とは、座禅を組むことで悟りの境地を開くことで、厳しさを求める武士に信仰されました。ここで二つの宗派を紹介します。

まずは、臨済宗を開いた栄西です。中国の宋にわたり禅宗を日本にもたらしました。特徴は「公案問答」です。これは、座禅を行う際に、師匠から課題を与えられこれを解くことを通じて、悟りに達していくというものです。鎌倉幕府の気風に合致したため、鎌倉幕府の保護を受けます。臨済宗の中心寺院は京都の建仁寺ですが、一方、鎌倉にも「鎌倉五山」を鎌倉幕府執権の北条氏が建てます。この一位と二位が建長寺と円覚寺です。

 

禅宗のもう一つの宗派が、道元が開いた曹洞宗です。道元は「ただひたすらに座禅に打ち込むこと・只管打座」を主張しました。曹洞宗の中心寺院は越前国の永平寺で、鎌倉ではありません。)


このように、絶望のなかにいた庶民を救うべく次々に生まれた、鎌倉新仏教ですが、中心寺院は鎌倉に非常に少ないことがわかります。これは、これらの新仏教が世に大きく広まったのが、室町時代であったことに原因があるのかもしれません。

但し、臨済宗の中心寺院は鎌倉にありますし、中心寺院ではありませんが、中心寺院ではありませんが、仏教寺院が鎌倉にはたくさんあります

 

 

 

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