2. 禅宗って
これから、鎌倉と禅宗との関係をご案内します。
この中で、歴史上有名な(しかも世界中です)人々がたくさん登場します。
どうぞ、楽しんでお読みください。
1.スティーブジョブスと禅
アップルの製品には、禅の思想が深く影響しています。
ジョブスはアップルの基本理念をシンプルさに求め、「シンプルであることは複雑であるよりも難しい」と言っていました。最新のiPhoneにはホームボタンもなく、極めてシンプルです。
また、マーケティングに関しては、座禅により、顧客の心を揺さぶる製品を世に出し続けられているのだと。「内なる声を聞け」とはアップルらしい表現です。
ジョブスは日本の禅宗僧から深い影響を受け、魂を純化していったそうです。
2.達磨大師が禅宗をはじめた
禅宗の起源についてみてみましょう。
以下の話は、神話というか伝説に近いのですが。
達磨は南インドで生まれ、7歳で出家し何十年もの修行の後、一人前と認められました。
しかし、師匠の指示に従い67年間インドで仏教の布教を行った後、120歳で中国の広州に下り立ち中国での仏教伝道の旅を開始しました。(スゴッ!)
中国到着直後の梁の皇帝武帝との禅問答が有名です。武帝は尋ねた「朕はたくさんの寺を建立し僧侶を保護し仏教を広めてきた。功徳はどのくらいか」。
達磨曰く「無功徳」。つまり、煩悩でやった善だけで、無の境地でなないので功徳は無いということだった。
3.達磨大師の弟子
達磨は北に向かい、洛陽近くの少林寺で壁に向かって座禅の修行をしました。一人の僧侶が、ぜひ教えを受けたいと達磨を訪ねてくるも断られました。
しかし、この僧は命と引き換える覚悟で出直して来いと言われ、短刀で自ら左腕を切り落とし達磨につきだします。
(この水墨画は室町時代のあの雪舟作)
その後も達磨は壁観を続け、9年が経ちついには手足が腐って切り落とさざるを得ず、
(スゴッ!)
それでダルマ人形には手足がないのです。これを「面壁九年」といいます。このような苦行の達磨でさえ、最終的な悟りを得ることはできなかったそうです。
4.禅宗、日本へ
その後、中国で北宗と南宗に分かれるも、
「日常生活の中に悟りを見出し、悟りを生活に活かす」という禅宗の基礎が築かれます。
12世紀に入り栄西が中国に渡り、禅を学び本格的に禅を日本にもたらします。しかし、当時の既成仏教勢力である天台宗は、臨済宗の活動を阻みます。
栄西は鎌倉に下り、座禅とともに「公案」(禅の課題)に取組む修行を打ち出します。
(後に、一休さんのとんちで有名です)
座禅と公案問答は、武家に受け入れられ、鎌倉幕府の帰依を受けることができました。鎌倉にも建長寺、円覚寺をはじめいくつもの臨済宗寺が開山されました。
→ これが鎌倉の禅宗のルーツです!
さらに13世紀には道元が中国に渡り、座禅こそがブッダの悟りの根源であるとし、「只管座打」という座禅修行を広めていった。これが曹洞宗です。道元は修行の場を移すうちに、越前の山奥へと行き、現在の福井県に永平寺を建て、曹洞宗の大本山としました。
(年末のNHK「ゆく年くる年」で最後に、ボーンボーンと鐘の音を響かすお寺が「永平寺」です)
禅宗の成り立ちについて、参考になりましたでしょうか。
次のブログでは、鎌倉のお寺について、お知らせし、その後、鎌倉禅宗の楽しみ方をご紹介しようと思っています。