16. 薬師寺


680年、天武天皇が病にあった皇后の平癒を祈願して発願。その後、皇后は回復しますが、今度は天武天皇が病に倒れ、寺の完成を見ることなく崩御されます。亡き夫の遺志を受け継いで、妻である持統天皇が寺を完成させました。薬師寺は夫婦の愛が築いたお寺です。

ここで、この時代のおさらいです。
大化の改新後、中大兄皇子はしばらくは皇太子として、実質政務を仕切った後、668年に天皇に即位し、天智天皇となります。この天智天皇の死後の後継者選びの際に、弟と息子とのあいだで起こったのが「壬申の乱」です。結局は弟側が勝利し、天武天皇となります。天武天皇は天皇を神格化し天皇への絶対服従政治体制を作ろうとしました。死後、皇后が即位、持統天皇です。持統天皇も天皇中心の中央集権体制をを作ろうとし、その後の、文武・聖武天皇へとバトンをつないでいきました。その時の最大のライバルが藤原氏だったわけです。
持統天皇が亡き夫天武天皇を弔い建てたのが、この美しい寺、薬師寺です。

 

薬師寺は、お寺に関心のなかった若い世代にも親しまれています。
 

最も評判なのは、説法。薬師寺は奈良の修学旅行の定番地で、訪れた多くの学生たちは大人になっても「薬師寺のお坊さんの話は覚えている」と話すほど。私も、ツアーで参加した薬師寺参拝では貴重な説法を聞かせていただきました。
 昭和42(1967)年から31年間にわたって管主を務めた高田好胤(こういん)師が説法を始め、その話術の高さから「究極の語りのエンターテイナー」と呼ばれるほどでした。
 高田好胤師は、白鳳様式の伽藍を復興させたことでも有名です。
兵火で焼失した後、仮堂のままだった金堂の復興に着手します。建築に10億円がかかると知った高田師は、浄財を集めるため、その話術をもって全国の市町村を回り説法を行い、お写経勧進に努めました。お写経により安らいだ心の中で生き方を見つめ直すと同時に、一巻1,000円(当時)の永代供養料を募りました。
 無謀な挑戦と揶揄されましたが、昭和51(1976)年に見事達成し、同年に金堂が復興されました。


では、一緒に薬師寺を参拝しましょう。

まずは、南門から。

続いて、薬師寺中門
内部に入って、まず正面に見えるのが、金堂です。堂内には白鳳期様式の本尊の国宝薬師三尊像が安置されています。中心の薬師如来坐像は、ギリシャ、ペルシャ、インド、中国の文様を刻んだ台座のうえに、堂々とした姿で座っておられます。
写真撮影は禁止されていますので。東海道新幹線の品川駅改札内に、20年6月に無病息災を願う『薬師三尊像』のパネルを載せておきます。
東塔は、寺内で唯一当時から残る建物で国宝に指定されています。三重塔です。明治時代にフェノロサがその美しさを「凍れる音楽」と評したとの話は、高校の日本史の教科書に必ず出てきます。

一方、こちらは西塔です。金堂と同じ色使いで、朱が鮮やかです。

次は、薬師寺大講堂です。その昔、寺の修行僧たちがここで仏教を学んでいたとのことです。学校の校舎ですね。

大講堂の奥には薬師寺食堂があります。「しょくどう」ではなく「しきどう」と読みます。僧侶が食事をする場所で、金堂や大講堂、塔と同様に古代寺院の主要建物です。

最後に、薬師寺大東院。朱塗りの白鳳伽藍とはちょっと雰囲気が違います。

 

 

 

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