21. 平安時代とは?
794年から、次の鎌倉1192年まで続いた、約400年もの長期に渡るのが、平安時代です。江戸時代が265年、その1.5倍です。
大変長いので、平安時代は次の3つの時代に分けてみましょう。
①平安京と天皇親政
②摂関家と国風文化
③院政と源氏・平氏
①平安京遷都と天皇親政
桓武天皇が平安京へ移り、天皇の親政が続いた時期です。794年から約100年間です。奈良時代には、聖武天皇が鎮護国家によって仏教の力で国を平和に収めようとしました。その結果、道鏡のように僧侶が天皇の座を狙うというように、仏教勢力が力を伸ばしていきました。そこで、桓武天皇は、仏教勢力を弱め律令制度に戻そうとたくさんの施策を行いました。平安遷都もその一つです。
この時期の重要人物としては、桓武天皇の他、中国から密教を伝えた最澄・空海の他に平城天皇&藤原薬子(薬子の変)、宇多天皇&醍醐天皇などがいます。②摂関家の確立と国風文化
遣唐使が廃止されてから、源平の戦いが始まるまでの、約250年間の藤原氏の時代です。
最初に藤原冬嗣の時代です。中期には菅原道真が登場しますが、大宰府に左遷されました。後期には、平将門や、藤原純友が起こした承平・天慶の乱の期間。武士の台頭が起こった時代です。この期間の代表は、藤原道長と頼道です。
この時代は、日本独自の国風文化の時代であります。「ひらがな」が生まれ、女性による文学サロンが形成されました。
一方で仏教の「末法思想」も広く信じられるようになりました。一言でいえば「仏教にとっては絶望的な終わりの世界が来る」というものです。浄土教、後に鎌倉仏教が生まれていきます。藤原氏(摂関家)以外は出世できないという意味で、貴族にとっては絶望的な状況で、来世に望みを抱くしかなかったのです。
前九年の役(1051年)・後三年の役(1083年)など、武士の活躍が始まったのもこの頃で、それから平安末期の源平時代へと進んでいきます。
③院政と武士の台頭
藤原摂関家の権力が衰え、代わって平家が台頭。しかし、最後には源氏に討たれる。
この平家の時代から鎌倉幕府までの期間が、この間の平安時代です。
保元の乱(1156年)や平治の乱(1160年)が起き、後白河上皇の時に、平清盛が太政大臣にまで上り詰め、平氏の時代となりました。しかし、清盛の死後、平氏の勢いは衰え、壇ノ浦の戦いで滅亡するのです。その後、1192年に鎌倉幕府が始まり、鎌倉時代へと時代は変わっていきます。