22.平安仏教
まず、仏教を各時代で俯瞰してみていくと、
①奈良時代
民間布教で有名な行基。大僧正として東大寺(華厳宗)大仏造営に携わりました。
もう一人、鑑真。何度も日本に来ることに失敗しついには失明しながらも、日本に戒律を伝え、唐招提寺(律宗)を開きました。
②平安時代
最初は密教(天台宗と真言宗)、その後は浄土教(鎌倉時代の浄土宗ではない)です。
③鎌倉時代
・念仏:浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)、時宗(一遍)
・題目:法華宗(日蓮)
・禅: 臨済宗(栄西)、曹洞宗(道元)
室町時代以降も色々な仏教が発展しますが、まずは鎌倉時代までを押さえておきましょう。
では、平安仏教です。
平安時代前半に仏教界に新風を吹き込んだのが、最澄と空海。二人は、ともに唐に渡り、仏教の教義 を学び帰国。 奈良仏教に見られる鎮護国家の傾向を継承しながらも、国家権力から独立した宗教としての主体性を持つものでした。最澄は比叡山に延暦寺を創建し天台宗を、空海は高野山の金剛峯寺を創建し真言宗をはじめました。比叡山にはいってきましたので、後で紀行記を載せます。
平安時代半ば には摂関政治の衰退や天災地変による社会不安がつのり、末法思想が広 まり、人々は浄土教の信仰に救いを求めるようになりました。末法思想は、仏陀入滅後、しだいに仏法が衰えていき、日本では1052年から末法に入ると信じられていました。空也や源信らによって急速に広まっていきました。空也は平安中期の僧。諸国を遊行し、念仏の功徳を庶民層に布教しました。京都に住みついてからは、町なかで乞食し、貧民 や病人の世話をしたので、市聖と呼ばれ、のちの浄土宗発生の基礎を築きました。源信は、この世をけがれた世とし、極 楽浄土に往生することを願うための念仏を説き、当時の人々に浄土信仰を広め、のちの法然の信仰成立に大きな影響をあたえました。
では、最澄が始めた天台宗を比叡山延暦寺へ行って、見てまいりましょう。
まず地図を見てください。
京阪電車で「坂本比叡山口駅」に行きます。そこから、坂本ケーブルで頂上の「ケーブル延暦寺駅」で降ります。頂上からの景色で、琵琶湖が見えます。12月初めに行ったのですが、当日は比叡山は雪が降っていまして、ほんの晴れ間に撮った写真です。
まず、東塔へ。しかし、驚きです。1200年以上前にこんな山奥(私はケーブルカーに乗ってきたのですが、そんなもののない時代によく重い資材を運び込んで、建設したものです。
根本中堂から。一山の中心となる建物という意味です。当日は工事中でしたが、内部は見せてもらいました。工事完成の後には是非とも、もう一度訪れたいと思います。
次に、東塔です。歴史的には、信長の焼討ちにあい、破壊されてしまっています。それから400年ぶりに再建され、塔の朱と自然の緑が溶け合って優美なコントラストを見せ、内部の壁画も印象的です。(内部の撮影は禁止)
大講堂です。僧侶が講義を聞いたり、問答をして勉強する学問修行の道場です。
阿弥陀堂です。ここは、1937年に比叡山開創1,150年大法要を記念して建立されました。先祖回向の道場で、本尊に阿弥陀如来をまつっています。
ここで、比叡山延暦寺の境内にある宿坊へ。びわ湖の眺望を楽しみながら伝統に培われた精進料理も楽しめます。当日私もいただきました。(寒かったので、熱燗とともに)窓からの雪景色も見てください。写真の上部が琵琶湖です。
東塔の最後に、文珠楼です。比叡山の総門の役目を果た、文殊菩薩がまつられていて、受験生の合格祈願に人気があります。但し、石楼が大変な急こう配です。受験生は気を付けて。
続きまして、西塔へと参ります。
釈迦堂です。西塔の中心をなすお堂。歴史的には、信長の焼討ち後、豊臣秀吉が大津の三井寺から移したもので、天台建築様式の代表とされる建物です。
にない堂です。常行堂と法華堂という同じ形の建物がふたつ並んで、渡り廊下でつながっています。力持ちの弁慶がこの渡り廊下をてんびん棒にして、このお堂をかついだという伝説から「弁慶のにない堂」と呼ばれています。