26.鎌倉時代の京都寺院


鎌倉時代、政治の中心は鎌倉に移りましたが、宗教的・文化的中心は依然として京都にありました。

建仁寺(けんにんじ)です

建仁寺は1202年将軍源頼家が栄西禅師を開山として、宋国百丈山を模して建立されました。
創建時は天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。
その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、東福寺開山円爾弁円が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。

1259年宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、禅院の規則が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。
室町幕府により京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えます。

ようやく天正年間(1573-1592年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建され制度や学問が整備されます。

明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となります。
また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小され現在にいたります。

勅使門
鎌倉時代後期の遺構を今に伝えている。
柱や扉に戦乱の矢の跡があります。
建仁寺で有名なのは、「双竜図」と「風神雷神図」です。それぞれ見ていきたいと思います。

 

法堂内の天井に描かれた双竜の絵です。

大きな2匹の龍の姿が印象的な「双竜図」は、鎌倉にある建長寺法堂内の「雲竜図」を手掛けた小泉淳作によって描かれました。

畳にすると108畳にもなる大きな天井に、水墨画で描かれた圧巻の龍を眺めることができます。部屋をぐるっと一周回っても、どこからでも龍が自分を見ているように感じます。

次は、「風神雷神図」です。

本坊から建物内に入ってすぐの場所にあります。俵屋宗達の代表作です。

原本は京都国立博物館内で保管されているため、これは精巧に再現された複製画です。
複製なので、写真撮影がOKです。原本と変わらない光沢感や細部まで再現されています。

 

禅宗の創始者、インドの僧である達磨大師の絵の掛け軸です。

迫力あるお顔です。

 

 

 

 

 

大雄苑(だいおうえん)は1940年に造られた枯山水庭園です。

中国の百丈山を模し、百丈山は別名大雄山ということからこの名が付きました。

 

 

 

潮音庭(ちょうおんてい)は小書院と大書院の間にある庭で、苔の美しい庭です。
法堂の三尊仏に見立てた三尊石が置かれています。

 

 

 

建物内部には美しい襖絵がずらり。

 

 

次は 知恩寺です。

知恩院は浄土宗総本山で開祖のは法然です。専修念仏の布教を行ったのがその始まりです。
「知恩」という名称は、弟子達が法然報恩のために行った「知恩講」に由来します。

 知恩院の地位が確立するのは室町時代後期になってからのことで、江戸時代になって浄土宗に帰依した徳川家によって現在の大伽藍が築かれました。

 

 

 

 

 

 

 

知恩院の三門です。

現存するわが国最大の二重門。

 奈良・東大寺南大門よりも大きい。

(ただ南大門の方が高いらしいです)

 

 

 

知恩院阿弥陀堂です。

本尊は阿弥陀如来座像で高さ2.7メートルある大きなものですが、写真撮影が許可されていないのが残念です。

 

 

 

 

知恩院経蔵です。

御影堂の東側に建っている経蔵は、三門と同じ1621年に建てられました。

ここにも、内部の美術品を見ることができますが、写真撮影はできません。

 

知恩院賽佛殿です。

 

 

 

 

 

知恩院の内部の様子です。

   

 

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