25.鎌倉、室町時代


〇都が京都にあった平安時代後の京都

鎌倉時代になって武家政権が関東の鎌倉に誕生すると、京都の町からも人・ものが流出したが、朝廷による仏教文化は京都に残った。

鎌倉時代が終わり建武の新政が始まると、また京都を中心とする朝廷による政治が再開する。
その後足利尊氏により、京都に室町幕府が開かれ、足利義満によって金閣と、足利義満によって銀閣が建設された。

金閣は室町幕府3代目将軍の足利義満により作られたもの。 金箔で覆われた豪奢な作りは、北山文化を代表する建物である。

銀閣は室町幕府8代目将軍の足利義政により作られたもの。質素な作りで、 東山文化と禅宗文化の結合を見ることができる。

 

応仁の乱は、1467年から11年もの間続く戦乱で、京都はその戦場となる。 多くの寺院はこれで被災してしまう。
室町幕府の権力はどん底まで落ち、下克上の風潮がひろがって戦国の世が始まることになる。

応仁の乱で焼けてしまった京都市街の復興にあたったのは市民であった。京都の文化は貴族中心の文化から町衆の文化へと変わっていく。 代表的なのが祇園祭で、 応仁の乱により33年間の間中断していた祇園祭も町衆たちが主体となって復活した。 祇園祭は現在まで、京都の夏の風物詩として続いている。

しかし、室町幕府の力はすでに衰えており、各地の戦国大名の中には、 京都に上って幕府や朝廷の力を借りて全国に号令しようとするものが現れた。
その中で、全国統一の先駆けになったのが織田信長である。織田信長は規制勢力の一掃のため、上京に火を放ち、 抵抗するものには武力を用いて圧倒し、戦国武将の力を見せつけようとした。町衆たちの活躍で復興した京の町も、また焼けてしまったのである。 織田信長は当時の将軍であった足利義昭を京都から追放し、 室町幕府はついに滅亡した。

次の天下人である、豊臣秀吉は京都の城下町化をはかるため、 また京都を復興させるために、聚楽第の建設、町並みの再整備、西本願寺の移設(大阪から)などの都市改造を行った。