27.室町時代の京都寺院
銀閣寺
正式名称を東山慈照寺といいます。
銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。
銀閣寺です。文化的には大変貴重な建物ですが、有名な割には銀閣寺自体あまり規模が大きくなく、いわゆる地味系なので訪問客は金閣寺に比べ少ないようです。
特に、外国人観光客には圧倒的に金閣寺の方が人気があります。銀閣寺のわびさびの奥深い地味さと、金閣寺の金の絢爛豪華な派手さですから、そりゃそうでしょう。
銀閣寺からの遠景です。
銀閣寺の庭園をいくつか。
銀閣寺洗月泉です。水面に映る月をさざ波で洗うと伝えられています。
次に天龍寺です。
足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため1339年に創建されました。
造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、その利益を造営費用に充てることを計画しました。これが「天龍寺船」の始まりです。
南禅寺を五山の上として天龍寺を五山の第一位に、この位置づけは以後長く続きました。
天龍寺の池です。 その下は、竹林です。
最後に、龍安寺です。
龍安寺へ向かう石段です。
龍安寺入口の門です。もとは書庫だったらしい。
臨済宗妙心寺派の禅寺です。
1450年、平安時代の貴族徳大寺家の山荘を、室町幕府の管領だった細川勝元が譲り受け、妙心寺の義天を開山に招き創建されました。応仁の乱で全焼しましたが、復興され、細川家の菩提寺として、豊臣秀吉や徳川家などから庇護を受けました。
有名な石庭は、1499年に方丈が建立された際の造営といわれます。白砂の上に大小15個の石が配された、およそ75坪の枯山水庭園。
イギリスのエリザベス女王が昭和50年(1975年)に日本を公式訪問した際、石庭の見学を希望。女王が石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道され、石庭の名はまたたく間に知れ渡り、現在では「ロック・ガーデン」として世界的に有名な日本庭園となりました。
境内の約半分を占める鏡容池を中心にした回遊式庭園は四季折々の花々が楽しめ、佗び寂びの精神に基づく禅寺の簡素な庭と、四季の花々に彩られた華やかな庭です。
龍安寺は紅葉も美しい。
龍安寺室内です。