日本の古代史(京都)


京都が日本の首都であったのは、平安時代と室町時代です。まず、平安時代から。

794年から、次の鎌倉1192年まで続いた、約400年もの長期に渡るのが、平安時代です。江戸時代が265年、その1.5倍です。
大変長いので、平安時代は次の3つの時代に分けてみます。

桓武天皇が平安京へ移り、天皇の親政が続いた時期です。794年から約100年間です。
遣唐使が廃止されてから、源平の戦いが始まるまでの、約250年間の藤原氏の時代です。
藤原摂関家の権力が衰え、代わって平家が台頭。しかし、最後には源氏に討たれ、鎌倉時代へと時代は変わっていきます。

平安京都の有名な寺を紹介します。

仁和寺です。
888年宇多天皇によって、仁和寺が建設されました。門跡寺院として最高の格式を保ちました。
しかし応仁の乱で、仁和寺はほとんど焼失、約160年後、徳川家光により仁和寺は再興されました。

二王門左右の金剛力士像、阿形・吽形が寺を外部から守っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五重塔です。五重塔遠景も趣がありました。

 

 

 

 

 

 

 

続いて、清水寺です。

清水寺の門へと行きます。

 

 

 

 

 

 

では中に入って、有名な清水の舞台へ。右写真は下からの舞台ですが、結構な高さがわかります。

 

 

 

 

 

 

清水の舞台から飛び降りる。
清水寺の高い崖の舞台ら飛び降りると、所願成就のときに怪我をせずに済み、もしくは死んで成仏できるといわれ、身を投げる者が絶えなかったという。 その舞台から飛び降りるほど、必死の覚悟で実行するという意味だそうです。高さは12mほどあり、ビルの4階くらいの高さです。実際に234人が飛び降りたそうですが、生存者は85%以上だそうです。当時は、今より木々がたくさんありクッションになっていたようです。

 

 

平安時代の神社 として、八坂神社、伏見稲荷大社、北野天満宮をご紹介します。

八坂神社は明治維新までは、「祇園社」「祇園さん」の名前で親しまれ、明治後八坂神社と改められました。現在では、全国の八坂神社の総本社です。京都三大祭「祇園祭」で有名です。八坂の石段上に立つ西楼門です。
本殿です。

 

次は、伏見稲荷大社です。稲荷神は食べ物の神なので「五穀豊穣」がご利益ですが、転じて「商売繁盛」また、「家内安全」「学業成就」「縁結び」と様々な願いをかなえてくれる、身近な万能の神様です。

伏見のお稲荷さんは、千本鳥居で有名で、特に外国人観光客に大人気です。遠くから見てみきれいですが、中をくぐるとまさに別世界です。どこか夢の国に導かれていくような気分になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、最後に、北野天満宮です。「北野の天神さん」と親しまれています。学問の神さま・菅原道真を祀り、梅の名所としても有名です。毎月25日には、「天神市(天神さん)」が開催され、たくさんの露店と参拝者で賑わいます。899年、道真は右大臣となり、国家の政務を統括します。しかし901年に突如、無実の罪で太宰権帥に左遷され、その2年後、太宰府にて命を落としました。その後、京都でさまざまな天災などが起き、これは道真の成せる業と考え、都を守護する社として北野天満宮が創建されました。今も変わらず人々に信仰され続けています。

御本殿です。創建以来、何度も火災に遭い、現在の建物は豊臣秀頼によって造営されたものです。
境内にはあちこち「牛像」に出会います。これは道真が牛年に生まれたことに由来し、牛に関わる伝説が多く伝わり、“天神さんのお使い”とされてきました。
なで牛”と呼ばれ、頭を撫でると学業成就などの御利益があるそう。

 

 

 

 

 

 

 

〇 室町時代の京都

足利尊氏により、京都に室町幕府が開かれ、足利義満によって金閣と、足利義満によって銀閣が建設されました。

金閣寺は室町幕府3代目将軍の足利義満により作られたもの。 金箔で覆われた豪奢な作りは、北山文化を代表する建物である。銀閣寺は室町幕府8代目将軍の足利義政により作られたもの。質素な作りで、 東山文化と禅宗文化の結合を見ることができる。

 

応仁の乱は、1467年から11年もの間続く戦乱で、京都はその戦場となる。 多くの寺院はこれで被災してしまう。室町幕府の権力はどん底まで落ち、戦国の世が始まることになる。

応仁の乱で焼けてしまった京都市街の復興にあたったのは市民であった。京都の文化は貴族中心の文化から町衆の文化へと変わっていく。 代表的なのが祇園祭で、 応仁の乱により33年間の間中断していた祇園祭も町の人たちが主体となって復活した。 祇園祭は現在まで、京都の夏の風物詩として続いている。

銀閣寺

正式名称を東山慈照寺といいます。
銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。

文化的には大変貴重な建物ですが、有名な割には銀閣寺自体あまり規模が大きくなく、地味なので訪問客は金閣寺に比べ少ないようです。
特に、外国人観光客には圧倒的に金閣寺の方が人気があります。銀閣寺の奥深い地味さに対し、金閣寺の金の絢爛豪華な派手さです。

 

 

銀閣寺の庭園をいくつか。


 

 

次に天龍寺です。

足利尊氏が開き、その目的は後醍醐天皇を弔うためで、1339年に建築されました。

天龍寺は、主要な京都禅寺五山の第一位です。

天龍寺の池です。 その下は、竹林です。

 

最後に、龍安寺です。

 

龍安寺へ向かう石段です。

 

 

臨済宗妙心寺派の禅寺です。

有名な石庭は、1499年に方丈が建立された際の造営といわれます。白砂の上に大小15個の石が配された、およそ75坪の枯山水庭園。

イギリスのエリザベス女王が昭和50年(1975年)に日本を公式訪問した際、石庭の見学を希望。女王が石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道され、石庭の名はまたたく間に知れ渡り、現在では「ロック・ガーデン」として世界的に有名な日本庭園となりました。

境内の約半分を占める鏡容池を中心にした回遊式庭園は四季折々の花々が楽しめ、禅寺の簡素な庭と、四季の花々に彩られた華やかな庭です。

龍安寺は紅葉も美しい。

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